作 者 : 加藤 恵史郎 (ストレスバスター)
最近メタボリック症候群を危惧している1967年生
牡牛座
UFOの存在を信じる純粋な心の持ち主
性 格 : いたって温厚。だがせっかちなところもある。
好きな言葉 : 道は近くとも、行かなければ到達できず、
事は小さくても行わなければ成就しない。
大学卒業後、独力で事業を興したいという夢のもと、コンピューター通信機器 メーカーのベンチャー企業に就職。 2年後、別のベンチャー企業の設立に参加し、3年後に独立を果たす。 独立後も仕事は比較的順調だったが、そのころから実家の家業を継いでもらい たいという父との間で葛藤が生まれる。 その頃、父の会社の専務であった叔父が脳溢血で倒れ、寝たきりになってしま う。 父の懇願もあり、家業の手伝いを始めることになるのだが、当然自分の会社の 経営が疎かになり、一緒に会社を立ち上げた同士の裏切り行為などのトラブル から、会社の経営状態は悪化する。こんな時期ではあったが、プライベートで は、なぜか結婚の話が急ピッチで進み、結婚することになるのだが、それと同 時に将来に対して漠然とした不安を抱え込むようになった。 まだ自分の会社は続けていたし、ずっと続けたいという思いは強かった。 しかし困っている父も何とか助けたい。 中途半端な気持ちのままで、自分の会社はうまくいくはずもなく、家業の方で も父との間で意見が食い違い、まったく思うようにいかず、ノイローゼ状態に 陥ってしまった。 このままでは、自分はダメになってしまうと、新婚間もない妻を置いて家を飛 び出しホームレスになる。 約二週間のホームレス生活中、たまたま拾った 「小さいことにくよくよするな!」 という本を読み、家業を継ぐことを決意する。 今思うと、なぜそういう決断に至ったのかはわからないのだが、あの時はそう 思った。家業継ぐ決心をしたのは良いのだが、今までやっていたこととはまっ たく畑違いの仕事だったので、一年間修行のため同業者の会社に住み込みで働 くことを父に提案し、またもや新婚の妻を置き去りに単身赴任をすることにな る。 修行も四ヶ月目に入ったところで、父がガンであることが判明する。 診断の結果、余命三ヶ月とわかり、急遽父の会社に戻ることになった。 しかし、そこから地獄の日々を味わうことになる。 仕事の面では、ある程度やっていける自信はついていたが、ここでまたもや父 と意見が合わず、会社ではどんどん孤立していった。 父にはガンであることを告知してもらっていたが、短い余命であることは伏せ ていたので、そのことでも気を使い、非常にストレスを感じていた。 体の調子も悪く、吐血することすらあった。 ある日突然、もう死んでしまおうと思い、家中の薬をバーボンとともにすべて 飲んでいた。幸い妻の発見が早く、飲んだ薬をほとんど吐き出してしまってい たので、大事には至らなかったが、このことがきっかけで心療内科の門をくぐ ることになった。 診断結果はうつ病。 医者からは、仕事を休んで静養するように言われるが、父の病気のこともあり 仕事を休むわけにもいかず何とか続けていたのだが、考えることは死ぬことば かり。 もう限界だと判断した妻が母を説得し、仕事はしばらく休むことになったのだ が、その三日後に父が他界。 こういう危機的な状況になると、人間というのは奮起をするもので、静養する のは止めてしまい、仕事を続けることにした。 がしかし、父の会社を引き継いだのは良いが、会社の借金は多額で、経営状態 は決して良いといえるものではなかった。 折りしもバブル崩壊後で、地方で事業を営む会社にも不景気の波が押し寄せて おり、金融機関の貸し渋りをもろに受けることになる。 父の残してくれた個人的な財産を処分したり、資金を貸し出してくれる別の金 融機関をあたったりと様々な工面をして、何とか急場はしのいだのだが、この お金の悩みが決定的だった。 その年の三月に亡くなった父の初盆の供養を終えたとき、これで自分のやるこ とはすべて終わったと感じ、二度目の自死行為に及んだ。 ここら辺のことは、あまり覚えていない。 言えるのは、まだ生きているということだ。 仕事もせず、病院にも行かず、将来への夢も希望もなく、考えることといった ら、いつ、どうやって死ぬかということだけ。 家でずっとふさぎ込む日が、二ヶ月ほど続いたと思う。 ある日偶然インターネットで見つけた精神科に、藁をもつかむ思いで受診した。 医師からは、即入院との診断を受けた。 僕を診察してくれた医師は、家族にも親切丁寧に病気の説明をしてくれ、必ず 良くなるからと勇気づけてくれた。 そんなにひどい状態なのかとショックを受ける反面、何だかホッとした。 やっぱり、僕は病気なんだ。 もう何ともならないダメ人間になってしまったわけではなく、ひどいうつ病な んだ。 それに先生は、絶対に元のように良くなるといってくれた。 真っ暗だった僕の心に、一筋の光明が差し込んだ気がした。 ここからが僕の闘病生活の始まりであった。 ストレス本にもこの時のエピソードを書いているので、ご一読いただけるとあ りがたい。 さて、この精神科医との出会いで、病状は急速に回復していくのだが、こうい う経験をすると、 自分は何のために生まれてきたのか?とか、 生きるとはどういうことか? 死とは? 自分は何のために存在しているのか? など人間として普遍的な事がらを考えるようになる。 これらの問いに対する納得のいく答えは、まだまだ導き出せていないのだが、 誰かの役に立ちたい、社会の役に立つ人間になりたいと強く考えるようになっ た。 僕がうつ病になった頃、世間では交通事故で亡くなる人より、自らの命を自ら 絶つ人の方が多くなったと新聞で報道され出した。 自死する人の殆どがうつ病など何らかの精神的な病気である。 人は誰でも、一度は死にたいと思うような経験があると思うが、本当に実行し てしまうのは明らかに異常な行為で、病気が原因なのだ。 このことは自分が経験しているのでよくわかる。 では、自分のこの経験が、精神的に苦しんでいる人の役に立つのではないだろ うか? 僕の経験談が、死んでしまおうと思っている人を思い留まらせ、精神科の門を 叩いてくれるかもしれない。 こんな死にぞこないの僕でも、困っている人の役にたつかもしれない。 こういう思いが日に日に強くなっていった。 しかし、医者でもなく、学者でもなく、専門家でもない僕の言うことなんか聞 いてくれる人がいるのだろうか? それに、自分の経験をどのように、どうやって伝えるんだ? やっぱり無理だよな。 などと自問自答していた時、偶然PCのメーラーを開け、当時流行りはじめてい たメールマガジンを受信した。 これだ! とひらめいた。 すぐにメールマガジン用のHP作成し、メルマガスタンド「まぐまぐ」から発行 の申請をした。 数日後、メルマガ発行を許可する旨のメールが届いた。 そして現在に至る。